奥の間、茶室 坐忘庵

奥の間(通称 奥御殿)

旧花水館写真

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造りの特徴として、十畳二間の続き座敷に公緑を三方に設けた間取りで、東側・奥の間は「床・棚・書院(床の間・違い棚・付け書院)」の三点を備えた本格的な書院造りです。西側・手前の間十畳も同様の書院造りですが、書院部分を平書院として、わずかな格式の違いを表しています。
蟻壁長押に格天井という格式の高い造作材は主に秋田杉で、柱には四方柾材も用いられています。欅の格縁、杉笹目杢の天井鏡板、床の間廻りには黒柿など、銘木がふんだんに用いられていて、和風な照明器具や長押釘隠の錺金物の保存状態も良好です。
外観は立ちの高い主屋部分に、四周下屋の二段屋根銅板葺きです。入母屋屋根には軒反りが施され、格調の高い造りで、また厠棟部分の造作にも入念な仕事が施されています。本建物の大工棟梁は、現飯坂町内に移住した小笠原国太郎との口伝があります。
※平成10年に国登録有形文化財に指定されました

坐忘庵

旧花水館写真

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茶室坐忘庵は、奥御殿の南側に増築された和風離れ座敷棟内に設けられた茶室で、四畳半切り本勝手に炉を切った典型的な間取りに水屋を隣接させた、本格的な茶室建築です。
身をかがまずに茶室内に入ることができる入口を貴入口と呼びますが、ここ坐忘庵は、この貴人口が身をかがんで茶室内に入る躙口と、隅の柱を挟んで垂直に併設されているのが特徴です。

旧花水館

旧花水館写真花水館が創業の地より現在地に移転開業したのは、明治20年(1887年)のことで、奥の間が作られたのは明治30年(1897年)でした。明治29年からの皇族方御宿泊にともない造営されたと推測されています。
戦後も昭和天皇の行幸行在所に用いられ、昭和61年9月26日の造営殿下の御宿泊まで、皇族の利用は49回を数えます。

※上記施設は現在、株式会社聚楽が所有しています
※旧花水館本館は現存しておりません