西根堰
のページを更新しました。
1本目:西根堰下堰(したぜき)……江戸時代の33村がある西根郷(にしねごう)という地域は、土壌は豊かですが水がないために、耕作しにくい土地でした。1180年(治承4年)に大鳥城主佐藤基治が西根堰を開削しようとしましたが、奥州合戦で破れて実現しませんでした。その後6度にわたり、工事が着手されましたが、失敗しました。時が過ぎ、藩領となった米沢の上杉家は、関ヶ原で負けたために会津120万石から米沢・福島30万石に減封されて、収入源を探していました。私財で水路を開削したいという佐藤新右衛門(さとうしんえもん)に許可を与えます。給与が支払われた事もあり、村々の住民は工事人夫となりました。1年をかけて、1618年(元和4年)に9ヶ月間で13kmの水路が完成し、16の村を潤します。西根郷の四分の一、300町歩が水田となりました。なお、佐藤新右衛門は、佐藤基治の18代の子孫でした。現在の取水口は、十綱橋から下流側の左岸に見下ろせます。
2本目:西根堰上堰(うわぜき)……6年前に完成した下堰より高い土地にも農業用水が望まれました。同様の許可を得て、今度も私財が投入されて、福島奉行の古河善兵衛(ふるかわぜんべい)が、佐藤新右衛門を脇役として、1624年(寛永元年)に着工します。全長28kmでも高低差がわずか50mの難工事では、岩盤をくりぬいて樋(とい)を通したり、遠く信夫山から松明の並びで高低を検証したり、トンネルも掘ったりした、と伝えられています。1年間で上堰ができ、900町歩の水田のすべてに水が引かれるまでさらに10年かかったと言われています。
現在の取水口は、奥十綱橋から下流の左岸に見えます。1624年の取水口は、500m下流にありました。
時がたち、1886年に、西根郷の2,058戸からの寄付を受けて、佐藤新右衛門と古川善兵衛を祀る西根神社が建立されました。また、西根堰下流域に用水を追加するために、1963年に藤倉ダムが造られました。西根堰は400年間、今も約1,400haを潤しています。
大鳥城跡
しかし南に小川、西に赤川、北東に摺上川と四方を川によって囲まれたこの城は、自然の地形を巧みに使った山城です。
このため「舘ノ山」の名があり、当時の石積みや空濠、土塁があちこちに残っております。頂上の本丸跡には、吉川英治の文章で「大鳥城記」の碑があります。
源平の戦いで義経の身替りとなった二人の子継信、忠信を失った基治はこの城を守り、文治5年(1185)頼朝に追われた弟義経が立ち寄ったのもここであろうが、これを追って来た頼朝の軍勢に攻めたてられて、その年の7月8日に遂に滅びたといわれています。
伝説では、8月13日の名月の夜であったともいわれています。
頂上からの眺めは、東に信達一円、西に吾妻の山なみを一望でき、必ずや行く人の目を楽しませてくれます。
大鳥城跡(舘ノ山公園)の周辺MAP
十六沼
娘は嘆き悲しみこの沼に身を沈めてします。村人はこのことを知りこの娘を惜しみ、それから十六沼と呼ぶようになったと言います。
この沼は自然湧水の沼で、四方の灌漑用水になっています。
桜の花の名所で、すぐ側に体育館やテニスコート、ソフトボールやサッカーのグラウンドなどの運動施設が整備されており、運動公園として多くの人々の憩いの場となっています。
十六沼の周辺MAP
滑瀧
夏には暑さをさける人たちでにぎわいます。上流にはキャンプ場があり、夏は水遊び、秋には芋煮会やバーベキューなど多くの人が集まります。
滑瀧の周辺MAP
蓮華滝と蓮華滝不動尊
不動尊から約200m、滝見道を歩くと、高さ約20mから末広がりになって直下で落下する綺麗な蓮華滝を見ることが出来ます。
古来、不動尊を参拝する方はこの滝で身を清めたとのことです。
車でも行けますが、途中から未舗装路になり道幅が狭くなりますので、運転にはご注意ください。
蓮華滝周辺のMAP
行人滝
滝壺が深く「大蛇がいる」「赤べこが住む」などの伝説があり、茂庭八滝の一つで、古くから修験者の行場であったといわれます。